2012年9月28日

facebookにも書きましたが、ここにも記録を残す意味で書きたいと思います。
個人的なことになりますので、どうぞ読み飛ばしてください。

2012年9月28日に父、松本隆一が79歳で永眠しました。

亡くなった時の父の顔は、なんだかすこし笑っているようにさえ思えて
いわゆる穏やかな顔というのでしょうが、人ってこんな穏やかな顔で死ねるのかってさえ思いました。

寡黙というか、本当に口下手な男で、福島生まれの東北人。
お酒が大好きでしたが、健康オタクでもあるので最近はお酒も控えめにしていたようです。

100歳まで生きるぞ!が口癖でした。

私は父にあまり怒られた記憶がありません。
さりとて、褒められた記憶もさほどありませんが、とにかく教育熱心でした。
うちは3兄弟ですが、3人とも中学は私立でしたし、当時私立の中学に行くって
クラスの中でも2~3人でした。
でも父は、きちんとした教育理念のある学校に行かせたいということでした。

3兄弟みんな私立って、すごいさぞやお金持ち…..。

ってそんなことはありません。自営業なのでいい時もあったでしょうが、子供3人を
私立に行かせるには、今思うと無理があったんじゃないかと思います。

父のそんな教育理念も私はお構いなしに、自由な校風を勘違いして、ただただ
ダラダラと過ごしました。

父も相当に個性的な考えの持ち主でしたので、おそらく自由な校風の中で、学力主義にとらわれず自由な発想で、個性的な人格を形成してもらいたかったのだと思いますが

自由=勉強しなくていい と勘違いした私は、ただただ6年間勉強しないで、何度も言いますがダラダラ過ごしました。

会社の資金繰りに青くなっている両親を見て、お金もないのに私立に行かせるからだ、とさえ思ってました。

高校3年生の一学期に、進学をどうするんだ!という先生の問いに、そこではじめてどうしようか??って思ったほどのバカものに成長した私ですが、そこはバカらしく以前姉と話した時に

「日本大学ってところに芸術学部っていうのがあるんだよ」

っていうのを聞かされて、「えーーーなに、それ芸術学部ってすごい!そんな学部があるんだ」って
ただそれだけで、日芸に強く惹かれていたのもあったので、先生に

「私、日芸受けます」

っていい放ったところ、先生に

「松本には無理。短大でも行け」って短大の冊子を渡された。

両親にも日芸受けるけど、短大もフォローで受けるわ、って言ったら
特に反対もされなくて、でも母には

「そんな、落ちたこと考えて短大を何校も受けるな」

って言われた。今思うと、うちの両親ってすごい。
これっぽっちも勉強してなかった私が、いきなり4大受けるって言ったのに、すべり止めの短大受けるなって、、、、。どんな根拠で子供を信用しているんだ。

学校のことについては、あーせーこーせーって言われたことがなかった。
でも日芸って、すごく学費が高くて、大バカな私はそんなことも気にしないで
ただただ受かりたい一心で勉強して、ついに日芸に受かってしまった。

でも、文句1つ言わないで、だまって学費を出してくれた。無事に卒業させてくれた。

本当に十分すぎるほどの教育を受けさせてもらったと思う。
これはでも40歳すぎてから、つくづく思ったことだ。

私に子供がいたら、できたか?
いや、できたとしてもイヤミの1つも言いたくなるかもしれない。

4年前に最初に父が倒れてから、親孝行したいと思い、故郷の福島に行ったり、出来る範囲だけど色々してあげたつもりだ。

でも7月に一度具合が悪くなった時に、実家に戻るとき、今日はこれを父に言わなくちゃいかんな、と思いながら行った。

「大学まで出してくれてありがとう」

でも、私はそれを恥ずかしくて、ついに言えなかった。
今でもそれをちょっと後悔しているが、たぶん言えなかったと思う。
だって、恥ずかしいもん。

だから、通夜の晩に眠っている父に向かって小声で言った。

「大学まで出してくれてありがとう」

私はそのおかげで、たくさんの素晴らしい友人、人生の伴侶に出会うことが
できたのだ。いや、これからも出会うことが出来る。

心から感謝したいと思う。
そしてこれからも感謝したいと思う。

 

亜佐子