一周忌

今日9月28日。私の父が亡くなってからちょうど1年になりました。

昨年初めに倒れてから奇跡的に復活し、再度倒れる2日前には病院で、ずいぶん良くなりましたね、と言われ元気に回転寿司でお寿司を食べていた父でしたが、急変して1週間もたたずに集中治療室で亡くなりました。倒れる時にはずいぶんと苦しかったと聞きましたが、倒れてからは意識不明。おそらく自分が亡くなったとは思っていないでしょう。100歳まで生きるというのが口癖でしたから、亡くなったことは不本意とは思いますが、長く苦しむこともなく幸せな亡くなり方だったと思います。

亡くなる当日、午後から仕事を休んで病院に向かいました。途中乗り換えの渋谷駅で花屋が目に入り、花を買っていこうと思いました。集中治療室なので、大げさな花は置けないと思い、小さい小瓶と、そこに入るだけの小さい花束です。包装してもらっている時に、もしかしたらこれが最後の父に買う贈り物になるなと思いました。

病室では、やはり意識不明のままの父がたくさんの器械につながれて寝ていましたが、そっとおでこに手を当てると、熱のせいかとても熱かった。それでも昨夜に比べると少し熱は下がったと思いました。しかしうっすらとあいていた瞼の奥は、深い暗闇でした。

あ~もう父は意識は戻らないんだろな。先生にも言われていたことですが、その暗闇を見て私は確信しました。父はもうこの暗闇の先に行ってしまったのだと思ったのです。とりあえず意識も戻らないので、ひとまず病院の1Fで母とお茶をして、これからまだ先も長くなるかもわからないので、とりあえず今日は帰ろうか?ということになり、私も地下鉄に乗って帰りました。が、電車の中でメールチェックしていると、父が急変したとのことですぐに病院に戻るよう姉からの指示。

池袋手前で電車を飛び降りて、すぐに反対側の電車に飛び乗りました。駅に着くと病院へのバスがちょうど停留所に着くところで、走りこんでバスに乗りました。

どうか、私が到着するまで死なないでほしい。どうか待っててほしい。心の中でずっとそう思い続けて病室に戻りましたが、父はすでに亡くなってました。私たちが病室を出て30分もしないうちに急変し亡くなったのだそうです。もう少し一緒に居てあげればとそれだけが今でも後悔です。

でも父はきっと苦しい姿を見せたくなかったのかもしれません。5人家族で、最後まで実家に居た私は、父と母と3人で一番濃い時間を過ごしたような気がします。会社から帰ると金曜日などはおなべをつつきながら、父は決まって

ゆっくりやろうよ!

というのが口癖でした。その頃は私もそんなにお酒を呑まなかったので、まったくね~とか思ってましたが、今はその気持ちがとてもよくわかります。そーです。金曜日なんか、ダラダラ呑みたいんですよ。わかるよ、ほんと。

亡くなる直前にさわったおでこは、もう熱くありませんでした。人が死ぬってこういこうことなんだよなあって。暖かい体ってやっぱりすごいことなんですよ。

口数の少ない父だったので、色々話した記憶はありませんが、基本おちゃらけた性格の人だったような気がします。いつも訳わからない自作の鼻歌を歌ってたし、美味しいものを食べるのも好きだったし、旅も好きだった。研究熱心だったし、融通のきかないまじめな人だった。唯一商売は下手でした。本当は研究者とかなれば、おそらくすごいあってたと思います。

今、会えないことが不思議ですが、今頃何してるんだろなあ。義父と話でもしているかしら?

やっぱり親が亡くなるって悲しいですね。