親父の一周忌が過ぎてようやく、少しずつ落ち着いてきた。
思えばこの1年ほど鹿児島の地に足を踏み入れた事はない。
親父の後に祖母も旅立ったので法事で都合3回も行った。
その行き帰りの飛行機の中で「永遠の0」を読んだ。
実は映画も観に行ったのだが、周りの人が言うほど感動しなかった。
どうも現代の若者を演じた若手俳優が白々しくて没頭できなかった。
小説の方が感動する。
知人からそう聞いたので本を手にした。
なるほど、確かに映画よりはグッとくるものがあった。
ふとしたきっかけで、祖父のルーツを探る旅。
その中で顔も知らなかった祖父の苦悩を知り成長する若者たち。
考えてみたら、自分も父方の祖父の顔は知らない。
自分が生まれる間に亡くなっていたからだ。
祖父は満州鉄道の運転手だった。
そして父は祖父の仕事の影響で中国のハルピンで生まれた。
その頃の満州鉄道(満鉄)の運転手は恵まれた職業だったそうだ。
父もその頃はハルピンで裕福な暮らしをしていたらしい。
幼少の頃の写真を見たことがあるが、
その時代にしては贅沢な服装をしていた姿が記憶にある。
聞くと肉やバターを口にしていたらしい。
中国人の使用人もいたらしい。
だが、それが満州事変で一変する。
どんどんと戦局が悪化し、生活環境も転がるように沈んでいった。
祖父と祖母は下の妹と息子である父を連れて必死の思いで鹿児島へ戻った。
劣悪な列車に乗り継いで中国大陸を渡った。
中には振り落とされて亡くなった方もいたらしい。
帰国してからの祖父たちは山の中で極貧の生活を送る事になる。
それまで詳しくは聞かなかったが、祖父は本当に苦労したそうだ。
その時代の最先端である満鉄の汽車の運転をしていた人間が、
山の中で慣れない畑仕事に従事する。
周りの人たちからどんな目で見られていたか。
どれだけ屈辱に耐えてきたか。
今まで聞かせてもらえなかったエピソードを、
鹿児島のホテルで母から聞かせてもらった。
正直ショックだった。
祖父がそんな思いをしていたとは。
なんとなくは想像していたが、
言葉に出来ない苦労をしていた事が心にずしりと響いた。
そんな祖父がいたから、今自分はこうして恵まれた環境で生活が出来ている。
父の死を通して自分のルーツを知った。
自分は本当に感謝して生きていかないといけない。