【電子商店繁盛記 Episode=0 】ハイあさちゃん¥387

今から思えば、会社が危機的状況になったとわかって、アパートを引越しして同居するまでの決断は実に早かったと思う。

もっと他に方法はなかったのか?と自問自答するも、いやそれは数限りなくあったかもしれない。

自分たちだけでも、会社を辞めることだって、出来ないことはなかったのだ。

でも、こうなるまでに知人、親戚と私たちの知らないところで実にご迷惑をかけている人が多数いることもわかった。親戚には小さい子供たちもいた。

私たちが辞めたり、逃げてしまえばしわ寄せは当然その人たちに行くのは避けられなかった。

それと、今まで住んだり、食べたり、遊んだり、していたこのお金は、本当の利益じゃないし色んな人に迷惑をかけて捻出されたお金だ。

それをわかって、のうのうと私たちだけの我侭で別居することはとても出来ないと思った。

先行き何か同居すれば、いい方法があるという確証も何もなかったが、その時に出来ることはこれだけだったのだと思う。

それと、とてもじゃないが、家賃なんて払える状況でないことは明白だった。

同居すれば、食費や電気代はかからない。というか、私たちが払う必要はない。

私たちには、結婚する前に投資目的で堂園が購入した、一戸建てが埼玉にあった。

バブル時期に銀行にいいように騙されて(笑)実際親戚も利益が出ていたので良かれと思って買ったようなのだが、もうバブル崩壊も目前の頃で、駅前と言っても田舎のため3年くらいは賃貸で借り手もあったが、崩壊後は借り手もつかなくなり空き家状態となり、ローンだけが残った。

本当はそこに住めばいい話なのだが、埼玉でもあまりにも遠すぎて現実的に無理だった。

そのローンも払っていたので、さらに家賃のかかるところに住むことはこれまた現実的に無理だった。

まさに八方塞がり。しかし、ここで先に登場した会長が驚くべき提案をするのだ。

たまたまその時に、利息の低い融資を、もちろん公的に認められている機関から借りることが出来た。もちろん、他には返すべき借金は色々とあったのだが、その融資で、私たちのローンを一括で返済する、と言い出したのだ。

あの時は余裕がなくて、今となっては記憶がおぼろげになってしまったのだが、時期的にバブル崩壊後だったので、中小企業の救済措置みたいな感じの融資だったんじゃないかと思う。ほとんど利息がかからないので、それをローン返済に充当し、その代わりに月々の堂園の給与を会社に返済として入れる、というのが条件だった。

返済期間は、確か2年くらいだったと思う。

ということは、その間は実質手に入る給料はまったくない、ということも意味する。その代わり端数は計算がめんどくさいのか、現金でくれた。

「はい、あさちゃん。¥387」

チャリーーーーン。

毎月の給料日はこんな感じだった。

確か、義理の母が見かねて、私に月3万くれたと思う。それか私のパート代としてだったか、、、?

今時、蟹工船も真っ青か?

そんな訳で、同居生活は¥30387で毎月過ごすことになったのです。

皆さん、信じられますか?(笑)

 

*気長に次回をお待ちください、、、、m(_ _)m