【電子商店繁盛記 Episode=0 】あんたらキチガイだ

ついに私たちの同居生活がスタートした96年。

もう帰るところはどこにもない。ソファが押し込められた4畳程度の部屋があるだけだ。

その頃はまだインターネットでの商売はしていないので、今までの卸の仕事をしていたが、バブル崩壊のあとのため、お得意様は減る一方だった。

その頃まだ、他の会社に勤めていた現弊社会長は、自分の仕事を終えた夜の8時ごろ、週2回くらい、会社の状況を確認すると共に膨大に膨らんだ借金を今後どのようにするかを話し合いに来た。

来る前に、何時ごろ行く、という電話がかかってくるのだが、電話に出ると開口一番

「電話に出るのが遅い!!」

と、叱り飛ばされた。事実、電話に出るのが遅かった。

出来ない会社は電話に出るのが遅いというが、これは本当だ。

私は多少なりとも、外で就職していた時期もあったので電話の対応というのは研修でやったことがあったので、自分自身そんなに遅いほうと思わなかったが、実家では誰かが出るだろう、という甘えもあったし、みんながみんなそう思っているので結果遅くなってしまう。

電話にすぐに出るという姿勢が誰1人なかった。

毎回会長は、ものすごく不機嫌な顔をして入ってきた。そして

「どうなんだい?売り上げは?」

と、聞く。しかしお得意様が減る一方、ろくな営業努力もしていなかったし、当時の売り上げは惨憺たるものだった。

おそるおそる、当時の社長、義理の父が

「○○円 です」 と搾り出すように告げると

会長は舌打ちをして

「そんなもんかい?」

と机に頭をうっぷした。

「あんたら、キチガイだな」

会長の当時の口癖だった。

私はなにより「あんたら」という言葉にショックを受けた。もちろん、そこには私も含まれるからだ。

でも、事実私たちはキチガイだったと思う。

頂きものではあったが、義理の母は鹿児島の人らしく、おもてなしの心に満ち溢れているので会長にその頂き物のお菓子とお茶を出すと

「こういうことされることすら、頭にくる」

とお菓子を指さした。

確かに、そんな状況ではないのだ。頂いたお菓子があるなら、それを夕ご飯にでもしろ、とそこまでは言わないとしても、要はそういうことなのだ。

本当にこの週に2回ほどの話し合いは、気が重かった。

これといった、新しい販路も見つからず、胸をはって言える売り上げもない。

でも変わらず、お腹はすくし、ごはんは食べなきゃいけない。

当時仕入れの支払いがあるからといっては、会長にいつも助けてもらっていた。会長に対する借金もかさんでいく中で、やっぱりお腹はすくし、ごはんを食べた。

自分たちの稼いだお金でもないのに。

同居しているなんて、もうなんてことなかった。

その週に2日の話し合いが、本当に地獄の苦しみに感じた。

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