2日間の研修を終えて、何より楽しみなのは、こやつらと会えること。
まろんは玄関で熱烈歓迎してくれたし、はまじも相変わらずのオバカぶりを発揮してくれたし、とらみは超マイペースに寝室でまったりしていた(笑)
今から思えば、会社が危機的状況になったとわかって、アパートを引越しして同居するまでの決断は実に早かったと思う。
もっと他に方法はなかったのか?と自問自答するも、いやそれは数限りなくあったかもしれない。
自分たちだけでも、会社を辞めることだって、出来ないことはなかったのだ。
でも、こうなるまでに知人、親戚と私たちの知らないところで実にご迷惑をかけている人が多数いることもわかった。親戚には小さい子供たちもいた。
私たちが辞めたり、逃げてしまえばしわ寄せは当然その人たちに行くのは避けられなかった。
それと、今まで住んだり、食べたり、遊んだり、していたこのお金は、本当の利益じゃないし色んな人に迷惑をかけて捻出されたお金だ。
それをわかって、のうのうと私たちだけの我侭で別居することはとても出来ないと思った。
先行き何か同居すれば、いい方法があるという確証も何もなかったが、その時に出来ることはこれだけだったのだと思う。
それと、とてもじゃないが、家賃なんて払える状況でないことは明白だった。
同居すれば、食費や電気代はかからない。というか、私たちが払う必要はない。
私たちには、結婚する前に投資目的で堂園が購入した、一戸建てが埼玉にあった。
バブル時期に銀行にいいように騙されて(笑)実際親戚も利益が出ていたので良かれと思って買ったようなのだが、もうバブル崩壊も目前の頃で、駅前と言っても田舎のため3年くらいは賃貸で借り手もあったが、崩壊後は借り手もつかなくなり空き家状態となり、ローンだけが残った。
本当はそこに住めばいい話なのだが、埼玉でもあまりにも遠すぎて現実的に無理だった。
そのローンも払っていたので、さらに家賃のかかるところに住むことはこれまた現実的に無理だった。
まさに八方塞がり。しかし、ここで先に登場した会長が驚くべき提案をするのだ。
たまたまその時に、利息の低い融資を、もちろん公的に認められている機関から借りることが出来た。もちろん、他には返すべき借金は色々とあったのだが、その融資で、私たちのローンを一括で返済する、と言い出したのだ。
あの時は余裕がなくて、今となっては記憶がおぼろげになってしまったのだが、時期的にバブル崩壊後だったので、中小企業の救済措置みたいな感じの融資だったんじゃないかと思う。ほとんど利息がかからないので、それをローン返済に充当し、その代わりに月々の堂園の給与を会社に返済として入れる、というのが条件だった。
返済期間は、確か2年くらいだったと思う。
ということは、その間は実質手に入る給料はまったくない、ということも意味する。その代わり端数は計算がめんどくさいのか、現金でくれた。
「はい、あさちゃん。¥387」
チャリーーーーン。
毎月の給料日はこんな感じだった。
確か、義理の母が見かねて、私に月3万くれたと思う。それか私のパート代としてだったか、、、?
今時、蟹工船も真っ青か?
そんな訳で、同居生活は¥30387で毎月過ごすことになったのです。
皆さん、信じられますか?(笑)
*気長に次回をお待ちください、、、、m(_ _)m
現在、使っているシステムをバージョンアップしたり、PCを替えたりと、受注、発注以外の仕事がやたらと多い。
忙しいと、そういうことに向き合うヒマがないため後回しにしてきたツケだ。
しかし、これが何一つうまく運ばなくて、何一つコンプリートできていない。
自分1人じゃないので、色々と回答待ちしつつということもあるけれど、それにしてもどうなんだ、、、、。これで仕事と言えるのか、、、、自分。
とにかく、目の前の仕事をさばくことに邁進していた3月。これから夏に向けては売り上げが一番下がる時期でもあるので、この間に次なる繁忙時期に向けて色々と整理、レベルアップしておきたい!
が、遅々として進まずの状況に、あ~~~なんかストレスがたまる。
まあ、でも1つ1つ潰していくしかないよね。
頑張ろう~~^^
代官山というと、中学生の頃にはじめて代官山に行ったのですが、まだ同潤会というアパートがあった頃で、今のようにたくさんのおしゃれなお店があるということではありませんでした。
でもその同潤会のアパートが、まるで昭和の40年代くらいにトリップしてしまうような感覚で古いアパートではありましたが、本当に趣きのある場所でした。
私はこのアーチ型の入り口?なのか、これがすごく印象的に頭に残っています。
お店もちょこっとはありましたが、アンティークの洋服屋さんとか、お客さんもほとんど居なくて、一番盛っていたのは、ハリウッドランチマーケットという古着のお店でした。
そんな代官山をあてもなく歩くのが結構大好きでした。何か発見できるような気がして。
でも久しぶりに代官山に下りてみると、まるで渋谷や原宿のような人ごみ!お店もいたるところに出来ていて、こんなにも街って変わってしまうんだなあ~ってほんと驚きでした。
でもなかなかセンスの良いお店も多く、代官山という土地に誇りをもって商売されてるなあ~と感じさせるところが多かったです。
一番最初の写真は友人が撮影したものですが、古い一戸建てを改装した工房。
ワークショップもあり、喫茶もでき、陶芸教室もありました。
なかなかほっこりと、ゆっくり話も出来てよかったですよ。
アクセサリーで今UVレジンというのが巷で流行しているようなのですよ。そういう噂にはとんと疎い私ではありますが、友人がワークショップをやるというので、参加してきました。
紫外線を当てると硬化するという、ジェルを使って飾りをつけていきます。ジェルは透明で何層にも出来るので、上の写真みたいに、盛り上がった飾りをつけていくことも可能なんですね。
まあ、こういうのは一にも二にもデザインのセンスが大事と思いますが、はてアクセサリーの枠だけ目の前にあっても、どうやってつけていくのかがいまいち想像できません。
困った場合は、何かテーマをきめてみようということが私は多いのですが、これはやっぱり好きな猫しかないでしょう。ということで、中央に猫シールを貼り付け、余ったスペースに蝶とお花のシールを貼り付け、モリモリにジェルを入れて表面張力でぽってりとさせたところに、立体のお花をつけてみました。
はっきり言って、手間も少なく簡単に出来上がり。
でもこれ、先生にほめられて、「売れますよ」というお墨付きをいただきました。
まさか、何のアイディアもないので、一番お手軽な方法を選びました。とも言えず。
まあ、だから良かったのかも知れませんね。
簡単なので、うちでもやってみよっと!
金曜日の夜のこと。
最近はじめたゴルフの練習で近くの打ちっぱなしに、仕事が終わって行った。堂園が付いてきてくれるっていうので、まだ1人での打ちっぱなしは心細いので一緒に行ってもらうことにした。
1時間くらい練習し、おなかもすいたのでせっかくなので帰りにどこかで飲んでいこうということになった。金曜日の夜に地元で2人で食事するっていうのも、いつ以来?な感じだったので、私は内心嬉しかったのだが、入ったお店が本当に最悪だった。
入ったお店は、以前もう10年前くらいに来たこともあり、その時は食事も満足した記憶があったので、最初は間違いないという気持ちだったのだが、金曜日の夜8時半ごろ。
客が1人もいない
この時点で、引き返すべきだったのだろう(笑)
まず頼んだサラダ、ほうれん草サラダ。カリカリのベーコン入りということだったのだが、確かにベーコンは入っていたが、あまりに小さくて鼻くそみたいで最初ベーコンと判断するのに時間がかかった。ドレッシングともうまく絡んでいない。ほうれん草は、オイルが少ないドレシッングだとうまく絡まないので、ただ単にほうれん草を生で食べる感覚に近くなってしまう。
しかし、これは1品目ということもあり、気のせいか?と思った。
そして2品目。スパムステーキ。
これも目を疑う代物だった。レタス、それもレタスの中でも安めのサニーレタス2枚の上に
1センチにも満たないくらいの暑さのスパムが2切れ。
2切れは仕方ないとしても、ステーキと名を打っているなら、もう少し厚めにするべきじゃないか?
極めつけは3品目だ。
一口ピザ。私はこのところピザを食べてなかったので、ピザがどうしても食べたかった。でも出てきたのは、薄いフランスパンのうえに、生のたまねぎに、アンチョピ、プチトマトの薄切りにチーズ。このチーズが古いのか?カビくさく、焼いたもんだからその匂いが倍増してしまい、まるで雑巾みたいな匂いが店内に広がる。匂いもそうだし、ピザと名を打っているのであれば、ここはフランスパンを使うのはいかがなものか?これじゃ一口ピザトーストではないか??
自分で作ったほうが、100倍旨いよ!
お酒もお代わりせずに、早々に店を出た。
美味しくないものを食べていると、会話もネガティブなことばかりになり、最後はものすごい険悪な雰囲気になった。美味しいものを食べると、すごい幸せな気分になるけど、美味しくないものを食べると、その逆になることを思い知らされた。というほど、こんな不味いものを食べたのは実に久しぶりだ!いまや、インスタントでももっともっと美味しい。
客が1人もいないことに合点がいった。たぶん10年前とはオーナーが変わったのだと思う。客が来ないので、材料の単価も下げて、ほとんど仕入れも押さえて営業しているのだろう。
鼻くそみたいなベーコン、カビくさいチーズ、ピザとは名ばかりのフランスパン。
営業は苦しくてもお客はだましたらイケナイ。そんなことするなら、営業しないほうがいい。
しかしつくづくお客さんは正直だと思った。
これを何かの教訓にしたいと思います。