【電子商店繁盛記 Episode=0 】クリとまろん

苦しい同居時代。

犬1匹に猫1匹。

犬が15歳で、猫が12歳くらいだったのだろうか。

堂園の両親が飼っていたペットたちだ。

苦しい故に、特に犬には最期は十分なことがしてやれなかった。

今でも夜中に、クリのことを思い出して、号泣している義理の母と妹のかすかに聞こえる声が忘れられない。

堂園も、その犬を子犬の時代から飼っていたので、死んでからしばらく気に病んだ。病気のクリの看病を仕事そっちのけでやっていた(そっちのけということでもなかったのだと思うが、当時の私たちにはそう見えてしまった)義理の父とは、それが理由でよく喧嘩したからだ。

私も、自分の犬を飼うようになってはじめてその気持ちが痛いほどわかる。

もちろん、苦しいからと言って、他人に譲ったり施設に入れたわけではないが、堂園の両親はもっともっと自分の飼い犬に色々してやりたかったに違いない。

私たちにそれをさせてあげられる気持ちの余裕もなかった。

経済的に余裕がないということは、心までも蝕んでいくのだ。

だからと言って今ここで懺悔しているわけでもない。なぜなら、それはあまりにもかっこつけすぎだし、簡単に逃げているようでずるいからだ。なので、けしてこう書くからと言って許してもらいたいと思っている訳じゃない。到底許してもらえることでもないと思っている。

ただ私はこれだけは思っていて、それは私が自分の今の飼い犬が、病気になって余命幾ばくもないとわかり、そのため休まなければならない時には、はっきりとその理由を言って、休ませてもらいたいと思っている。そういう環境を作りたいと思っている。そのために、今たくさん働き環境を整えられるように一生懸命働いている。

同じ過ちを犯したくない。それがクリへの謝罪の気持ちでもあり、自分への戒めの気持ちだ。

潜在意識かわからないが、

その当時亡くなった犬は クリ と言い、九十九里浜から名前をとった。

今の私たちの犬が まろん。 これは栗のまろんだ。もちろん、クリの名前に似せてとは考えていなかった。

でもクリとまろん。

クリとまろん

なのだ。

そこに何かあるのか、ないのか。それはわからない。

でも、

クリとまろん

クリとまろん なのだ。