波乱含みな同居生活でしたが、会長に
「何か、自分らしい、自分しか出来ないビジネスはないのか!!」
と、顔を合わせるたびに叱咤(激励はない)される日々が続きました。
実際
ない。
次々とお得意様は倒産していくし、既存のビジネスでは到底広がりは期待できるものではありませんでした。
例の週何回かの、会長との会議も会長が忙しいため、駅まで呼び出されて、売り上げの状況を聞かれることもありました。
だいたい、そういう時は堂園が行くことになりました。
寒い、寒い、夜9時頃、川越街道沿いにあるミスタードーナッツで会長を待ちます。
会長はとにかく、いつも忙しい人なので、時には家に持ち帰り組み立てする予定の照明器具や安定器を左右に重そうにぶら下げながらも、小走りに横断歩道を渡って堂園のいるところにやってきます。
とにかく忙しい。そして、何より会長の信条として
「常に走れ」
ちんたら歩く分の1~2分でも時間が惜しいという訳なのです。
そのため会長は、自分の会社の中ではいつも移動は走っていたそうです。
小走りに走ってきた会長に
「どうなんだい?売り上げは?」
そう問い詰められた堂園でしたが、いつも答えることが出来なかった。
寒いし、情けないし、どうして自分はこんな家に生まれてしまったのだと、誰にもぶつけられない恨みにも似たような気持ち。
ドロドロと渦まいては、ただ、ただ会長が来るのを待つだけしか出来ない。
今でも時折、何かトラブルが起こって大変な状況になると
「でもあの時のミスドで待っている自分を思えば、こんなのどうってことないね」
そう、言います。
私はその場には行っていないし、本当につらかったと思う。
家も何もかもなくなって、妻は自分の実家に同居させなければならない、自分で稼いでいるという実感もない。会長にすがるしかない自分がそこにいるだけだ。
いや、私がつらかったなど、到底言える立場ではないのだろう。
本当に、でもそれを乗り越えてくれて、今は感謝しかない。
あなたが逃げたら、もう終わりだったのだから。