今日はお袋が鹿児島から持ち帰った草餅をあぶってお花見をしました。
もうすぐ春本番ですね(^o^)



今日はお袋が鹿児島から持ち帰った草餅をあぶってお花見をしました。
もうすぐ春本番ですね(^o^)



本当は4日までだったお正月休み。
体調不良で本日までお休みにしました。
本日のランチは昨年末の鹿児島MGで買ってきたお土産の豚トロ。
美味しいラーメンでした。
さ、明日から仕事始め、がんばるぞ(^o^)

本日より鹿児島出張です。
夫婦二人で鹿児島へ来ました。
まずは、母方の実家とその家屋を守ってくださるまもるおじさんご夫婦の所へご挨拶へ。そのご藺牟田の本龍寺でお線香を上げて父方の納骨堂へ。姶良市蒲生町漆にあります。あすから第一回かごしまMG研修。この数年、不正を働いた前会長で(どこぞの大会社の会長みたいですが)を更迭し、会社をダウンサイジングし色々と大変な思いもしましたが、こうして夫婦揃って鹿児島へ戻れるようになりました。




親父の一周忌が過ぎてようやく、少しずつ落ち着いてきた。
思えばこの1年ほど鹿児島の地に足を踏み入れた事はない。
親父の後に祖母も旅立ったので法事で都合3回も行った。
その行き帰りの飛行機の中で「永遠の0」を読んだ。
実は映画も観に行ったのだが、周りの人が言うほど感動しなかった。
どうも現代の若者を演じた若手俳優が白々しくて没頭できなかった。
小説の方が感動する。
知人からそう聞いたので本を手にした。
なるほど、確かに映画よりはグッとくるものがあった。
ふとしたきっかけで、祖父のルーツを探る旅。
その中で顔も知らなかった祖父の苦悩を知り成長する若者たち。
考えてみたら、自分も父方の祖父の顔は知らない。
自分が生まれる間に亡くなっていたからだ。
祖父は満州鉄道の運転手だった。
そして父は祖父の仕事の影響で中国のハルピンで生まれた。
その頃の満州鉄道(満鉄)の運転手は恵まれた職業だったそうだ。
父もその頃はハルピンで裕福な暮らしをしていたらしい。
幼少の頃の写真を見たことがあるが、
その時代にしては贅沢な服装をしていた姿が記憶にある。
聞くと肉やバターを口にしていたらしい。
中国人の使用人もいたらしい。
だが、それが満州事変で一変する。
どんどんと戦局が悪化し、生活環境も転がるように沈んでいった。
祖父と祖母は下の妹と息子である父を連れて必死の思いで鹿児島へ戻った。
劣悪な列車に乗り継いで中国大陸を渡った。
中には振り落とされて亡くなった方もいたらしい。
帰国してからの祖父たちは山の中で極貧の生活を送る事になる。
それまで詳しくは聞かなかったが、祖父は本当に苦労したそうだ。
その時代の最先端である満鉄の汽車の運転をしていた人間が、
山の中で慣れない畑仕事に従事する。
周りの人たちからどんな目で見られていたか。
どれだけ屈辱に耐えてきたか。
今まで聞かせてもらえなかったエピソードを、
鹿児島のホテルで母から聞かせてもらった。
正直ショックだった。
祖父がそんな思いをしていたとは。
なんとなくは想像していたが、
言葉に出来ない苦労をしていた事が心にずしりと響いた。
そんな祖父がいたから、今自分はこうして恵まれた環境で生活が出来ている。
父の死を通して自分のルーツを知った。
自分は本当に感謝して生きていかないといけない。
毎年各地で開催されている百貨店での「鹿児島展」
毎年楽しみに行っているのですが、おととい池袋の東武に行ってきました。
鹿児島展は北海道展に次ぐ人気イベントと聞いたことがありますが、いや~~すごい人でにぎわってました。今年は開催期間が短いということもあるのかもしれません。
我が家は毎年、ここで醤油、麦味噌、豚味噌、お酢、などなどを購入します。ネットで買えるのですが、毎年わざわざ買いに来るのが楽しみなんです。
お店の人たちはみなさん、鹿児島の方。なので、接客も方言訛りで、気さくな感じが楽しい。
あまりの人ごみだったので長居はしなかったのですが、ほんと見てて飽きないですね。
鹿児島によく行く機会もあるのに、毎年東武に行ってしまう。
なんかおかしいですね^^