猫付きマンションが出来たらしい

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相変わらず仲良しで私たち夫婦を和ませてくれる、はまじととらみのニャンズコンビ。
犬も可愛いけど猫の愛らしさも捨てがたい。
その意味では犬と猫と一緒に暮らす事が出来る今の環境はとても恵まれている。

でも、賃貸だとなかなかそうはいかない。
自分にも覚えがあるが、特に猫は爪研ぎの習性があるので賃貸では敬遠される。
まろんと暮らす前にペット用マンションを探したが物件がとても少なかった。

ところが、今は猫付きマンションなるものがある事をネットで知った。
驚く事に光が丘公園から徒歩圏内の春日町にも物件がある

入居者は管理会社が用意する猫からパートナーを選んで生活をする事が出来る。
万が一引っ越す際は、猫を譲り受ける事も出来るし、管理会社に次の飼い主が見つかるまで預ける事も出来るらしい。
これなら、年配で猫と暮らすのにためらっている方も安心して猫と暮らす事が出来る。
なかなか良いサービスだと思う。

将来、こうした物件は増えるんじゃないかな?

【電子商店繁盛記 Episode=0 】まえがき

電気のついていない2階の階段から下を覗いた時、窓がついていないその1階への階段は、真っ暗闇で、闇がその時に本当に黒いと思った。

たった10何段しかないその階段は、その暗闇の中に永遠に続いていくようにさえ思えた。

これは私が夫、堂園の実家に同居していた頃のある日に感じたことなのだが、それが今でも一番印象的だ。

1995年の冬のことと思う。

私は27歳で、堂園が28歳。結婚して4年目のこと。

思えばそれからもう20年近くなるが、今でもその黒さをはっきりと思い出すことが出来る。

その時、実家の1階では、堂園、義理の父、母がこれからの資金繰りのことで話し合っていた。まだ本当の事態を知ることのなかった私だったが、なにか胸騒ぎがして落ち着かず、心配してそっと2階の階段の上から1階を覗いてみた訳なのである。

そうまさに、そこから私は、いや私たちはこれから長く続く暗闇に入っていった。

いや、むしろもう何年も前から渦中に居たのかもしれない。

無知な私たちはそれに気がつかなかっただけなのだ。

20年を節目に少しづつ振り返ろうと思う。

 

 

*気長に次回をお待ちください、、、、m(_ _)m

ノマドウォーカー

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決まった事務所で仕事をするのではなく、パソコンを持ってカフェや図書館などで仕事をする人をノマドウォーカーと呼ぶらしい。
私もMacbook Airを手にしてからこの傾向が強くなった。
最近、車で外出する事が多くなったので車中がオフィスになる事も多い。
しかし、今は本当に便利になった。
iPhone 5Sがあればほぼどこでもテザリングでネット接続が出来る。
接続ソフトがあれば事務所の自分のPCに乗り込んで作業が出来る。
私の場合、この環境で日本全国どこでも仕事が出来るようになった。
本当に快適だ。

PM2.5が濃いので室内待機

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今日は中国からP.M2.5が飛来するので室内待機・・・。
とまぁ我が家のニャンズは常に室内ですけどね(^^;

冗談はともかく、中国にはなんとかして欲しいですね。
日本もかつては車の排ガスや向上の排煙で空気が汚染された歴史があります。
国を挙げての規制でこれを日本は乗り越えてきました。
ここはひとつ、日本側の技術協力でなんとかなりませんかね?
色々問題はあると思いますが、これは中国一国だけの問題ではないと思う。

ルーツ

親父の一周忌が過ぎてようやく、少しずつ落ち着いてきた。
思えばこの1年ほど鹿児島の地に足を踏み入れた事はない。
親父の後に祖母も旅立ったので法事で都合3回も行った。

その行き帰りの飛行機の中で「永遠の0」を読んだ。
実は映画も観に行ったのだが、周りの人が言うほど感動しなかった。
どうも現代の若者を演じた若手俳優が白々しくて没頭できなかった。

小説の方が感動する。

知人からそう聞いたので本を手にした。
なるほど、確かに映画よりはグッとくるものがあった。
ふとしたきっかけで、祖父のルーツを探る旅。
その中で顔も知らなかった祖父の苦悩を知り成長する若者たち。

考えてみたら、自分も父方の祖父の顔は知らない。
自分が生まれる間に亡くなっていたからだ。

祖父は満州鉄道の運転手だった。
そして父は祖父の仕事の影響で中国のハルピンで生まれた。

その頃の満州鉄道(満鉄)の運転手は恵まれた職業だったそうだ。
父もその頃はハルピンで裕福な暮らしをしていたらしい。
幼少の頃の写真を見たことがあるが、
その時代にしては贅沢な服装をしていた姿が記憶にある。
聞くと肉やバターを口にしていたらしい。
中国人の使用人もいたらしい。

だが、それが満州事変で一変する。
どんどんと戦局が悪化し、生活環境も転がるように沈んでいった。
祖父と祖母は下の妹と息子である父を連れて必死の思いで鹿児島へ戻った。
劣悪な列車に乗り継いで中国大陸を渡った。
中には振り落とされて亡くなった方もいたらしい。

帰国してからの祖父たちは山の中で極貧の生活を送る事になる。
それまで詳しくは聞かなかったが、祖父は本当に苦労したそうだ。
その時代の最先端である満鉄の汽車の運転をしていた人間が、
山の中で慣れない畑仕事に従事する。
周りの人たちからどんな目で見られていたか。
どれだけ屈辱に耐えてきたか。

今まで聞かせてもらえなかったエピソードを、
鹿児島のホテルで母から聞かせてもらった。

正直ショックだった。

祖父がそんな思いをしていたとは。
なんとなくは想像していたが、
言葉に出来ない苦労をしていた事が心にずしりと響いた。

そんな祖父がいたから、今自分はこうして恵まれた環境で生活が出来ている。
父の死を通して自分のルーツを知った。
自分は本当に感謝して生きていかないといけない。

鹿児島展

asako14毎年各地で開催されている百貨店での「鹿児島展

毎年楽しみに行っているのですが、おととい池袋の東武に行ってきました。

鹿児島展は北海道展に次ぐ人気イベントと聞いたことがありますが、いや~~すごい人でにぎわってました。今年は開催期間が短いということもあるのかもしれません。

我が家は毎年、ここで醤油、麦味噌、豚味噌、お酢、などなどを購入します。ネットで買えるのですが、毎年わざわざ買いに来るのが楽しみなんです。

お店の人たちはみなさん、鹿児島の方。なので、接客も方言訛りで、気さくな感じが楽しい。

あまりの人ごみだったので長居はしなかったのですが、ほんと見てて飽きないですね。

鹿児島によく行く機会もあるのに、毎年東武に行ってしまう。

なんかおかしいですね^^

にゃんにゃんにゃん

1920615_581738031900518_1975880263_n昨日2/22は猫の日だったのだそうです。

日暮里の谷中銀座は、猫の街とも言われており猫グッズを扱うお店がたくさんありました。

メディアでも露出が激しいので、小さな下町の商店街ですが多くの人でにぎわっていました。商店街もやり方1つでずいぶんと変わってしまうものだなあ、と実感。

猫好きな私たちには、たまらない街でしたが、縁があるなあと思ったのは、昨日日暮里に出向いたのは、新しい照明器具の素材として猫の生地を探しに行ったということ。

その帰りにちょっと足を伸ばして谷中銀座に来たのですが、ここでも「猫」

新しい商品はヒット間違いなしか?

などと自分勝手に考えて、気持ちよくなっていたのでした。

泣けた!

1966943_580941965313458_620469452_n前日のショートで信じられないワースト記録を出してしまったまおちゃんは、やっぱり盛り返してくれました。前日からの葛藤や決意が言葉にしなくても全身からオーラのように発せられて、もう途中から涙なしでは観られませんでした。

プレッシャーに打ち勝つって本当に壮絶な決意がなければ、打ち勝てないんだ、ってそれを乗り越えた人の凄さを目の当たりにしました。

本当に素晴らしかった。

16位という不本意な順位で、こんな順位にいる人じゃないのに~って悔しい思いをしましたが、やっぱり魅せてくれましたね。

上位組みもハイレベルな戦いだったと思います。何より金をとった17歳のロシアの選手はまだ荒削りながらも情熱は素晴らしかったと思います。

とにかく本当に感動しました。