4月終了!

asako13消費税アップから、今月は本当にあっというまの1ヶ月でした。

消費税前の駆け込み需要から、どれだけ4月は冷え込むか?が本当に1つの懸念でありましたが、思ったほどの落ち込みもなく、何とか予算をクリアすることが出来ました。

また楽天市場店については、以前楽天で起きたほかの店舗の二重価格の件で、楽天側から二度とそのようなことがないように、他の店舗にも修正などを求められており、うちにもそのような連絡が来てましたが、うちのお店は正真正銘、何も隠すことなくいつでも正直に運営してますので、今回も真摯に楽天の要求に対応し、楽天側からも本日修正の確認が無事に終わりましたことをここにご報告させていただきます。

またこの対応につきましては、ネットショップ仲間からの本当に暖かい支援をもとに遂行することが出来ました。

本当にいつでも、私たちは助けられているなあ、と今回もまた痛感いたしました。

それだけに、これからも切磋琢磨して精進し心新たに頑張っていきたいと思います。

これからもてるくにでんきをどうぞよろしくお願いいたします。

赤レンガ倉庫

10299070_613002202107434_7995052316080858985_n副都心線が中華街まで1本になってから、一度は電車で行きたいと思ってましたが、なかなか時間がなく行く機会もありませんでした。

そしてついに今日、中華街までは行きませんでしたが、その手前の馬車道という駅にある赤レンガ倉庫に行ってきました。

特急と各駅を乗り継いで、1時間8分。やっぱり、1本でつながってるってすごい!以前は池袋から渋谷に出て東急で乗り換えか、横浜までJRで行き乗り換えと特に中華街方面は乗換えが多く遠かったですが、いや~ラクチンでした。

そして赤レンガ倉庫では、以前バイトをしていた時のお友達と約3年ぶりくらいに再会。

歳は5歳くらい下で、見事なまでに性格もバラバラなんですが、なぜか気があって、時々こうやって再会しています。

5歳下ですが、皆40代となり、それなりに色々と苦労や悩みを重ねてきているようです。色んな愚痴や悩みなどを聞きながら、何にもない人なんていないんだよな~。乗り越えてきてこそこうやって会えることが出来るんだってつくづく思いました。

本当に面白い関係ですが、こういった縁に恵まれて幸せです。

この友人たちのことも、いずれは電子商店繁盛記エピソードゼロに登場すると思います。

懐かしい世田谷へ

asako03今日は、世田谷在住のネットショップのお仲間にお誘いいただき、世田谷ご近所の会(というか、どうかはわかりませんが)練馬のわたくしたちが参加して参りました(笑)

実家がもともと、世田谷の下馬というところで、それを前にお話したことがあり、実家が世田谷ということであれば、この会に参加資格があるのだそうです。ということでもありませんが^^

世田谷のそのお店は、学芸大学付属高校のすぐ近く。ここは世田谷観音という神社があり、子供の頃は大晦日に家族でお参りに行ったり、小さい頃は友達と遊んだりしたところです。世田谷観音の前には小さい公園があって、そこでもよく遊びました。

この通り沿いに区役所の出張所があって、結婚する時に確か戸籍謄本を変更する時に必要な書類をもらいに行き、あ~もうこの苗字ではなくなってしまうんだ~と神妙になった気持ちを出張所を見て思い出しました。もう20年も前の話になりますね。

住めば都と言いますが、今では緑の多い光が丘公園の周辺がお気に入りですし、久しぶりに歩いた世田谷は少しよそよそしい感じがしたのでありました。

でも以前住んでいた地域に、嬉しそうに住まわれている仲間を見て、やっぱりちょっと嬉しかったし、少し誇りにも思いました。やっぱり何か縁のある場所なのかもしれません。

バーベキュー

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二日目は毎度おなじみのバーベキューでゆったりと過ごしました。
トロパパ、aitoさん、ババちゃん、クエルママ、うみちゃんママ、あさこ、私のメンバー。

なんというか、気の置けない仲間とゆっくり光が丘公園で過ごすのは楽しいなぁ。
案の定最後には寝落ちしていたようですが(^_^;)

初日はお仕事

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全国的にゴールデンウィーク突入ですが、今日はお仕事デーとなりました。
まずは学生時代にアルバイトをしていた頃の同僚・尾崎くんから8年ぶりに注文を頂いたので設置してきました。
実は膝の怪我をしてから本格的な脚立での作業は初めてでした。
無事設置できてご満足頂きました。

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帰宅したら、今度は事務所のファイルサーバーのメンテナンス。
こちらは残念ながら作業の途中で機材不足が発覚。
火曜日に再度出直しとなりました。

さてさて、明日は休んでゆっくりするぞ(^^)

GW

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明日からGWなんですね。

今年は休みが前半と後半に分かれてますが、どうやら前半はあまり天候が良さそうじゃありません。でも今日は気温もちょうどよくて、気持ちいい午後です。

あ~こんな気持ちい午後は、ビールでも飲んで昼寝でもしたいものです。

まろんも外で寝ればいいのになあ~と思うのですが、どうも一緒の空間じゃないとイヤらしく、私が外にいる時は、外で気持ち良さそうにしますが、中に入ると一緒に入ってきてしまいます。

せっかく気持ちいいのになあ~。

なんて思うんですけどね。

飼い主の近くにいたいらしいです^^

 

【電子商店繁盛記 Episode=0 】あんたらキチガイだ

ついに私たちの同居生活がスタートした96年。

もう帰るところはどこにもない。ソファが押し込められた4畳程度の部屋があるだけだ。

その頃はまだインターネットでの商売はしていないので、今までの卸の仕事をしていたが、バブル崩壊のあとのため、お得意様は減る一方だった。

その頃まだ、他の会社に勤めていた現弊社会長は、自分の仕事を終えた夜の8時ごろ、週2回くらい、会社の状況を確認すると共に膨大に膨らんだ借金を今後どのようにするかを話し合いに来た。

来る前に、何時ごろ行く、という電話がかかってくるのだが、電話に出ると開口一番

「電話に出るのが遅い!!」

と、叱り飛ばされた。事実、電話に出るのが遅かった。

出来ない会社は電話に出るのが遅いというが、これは本当だ。

私は多少なりとも、外で就職していた時期もあったので電話の対応というのは研修でやったことがあったので、自分自身そんなに遅いほうと思わなかったが、実家では誰かが出るだろう、という甘えもあったし、みんながみんなそう思っているので結果遅くなってしまう。

電話にすぐに出るという姿勢が誰1人なかった。

毎回会長は、ものすごく不機嫌な顔をして入ってきた。そして

「どうなんだい?売り上げは?」

と、聞く。しかしお得意様が減る一方、ろくな営業努力もしていなかったし、当時の売り上げは惨憺たるものだった。

おそるおそる、当時の社長、義理の父が

「○○円 です」 と搾り出すように告げると

会長は舌打ちをして

「そんなもんかい?」

と机に頭をうっぷした。

「あんたら、キチガイだな」

会長の当時の口癖だった。

私はなにより「あんたら」という言葉にショックを受けた。もちろん、そこには私も含まれるからだ。

でも、事実私たちはキチガイだったと思う。

頂きものではあったが、義理の母は鹿児島の人らしく、おもてなしの心に満ち溢れているので会長にその頂き物のお菓子とお茶を出すと

「こういうことされることすら、頭にくる」

とお菓子を指さした。

確かに、そんな状況ではないのだ。頂いたお菓子があるなら、それを夕ご飯にでもしろ、とそこまでは言わないとしても、要はそういうことなのだ。

本当にこの週に2回ほどの話し合いは、気が重かった。

これといった、新しい販路も見つからず、胸をはって言える売り上げもない。

でも変わらず、お腹はすくし、ごはんは食べなきゃいけない。

当時仕入れの支払いがあるからといっては、会長にいつも助けてもらっていた。会長に対する借金もかさんでいく中で、やっぱりお腹はすくし、ごはんを食べた。

自分たちの稼いだお金でもないのに。

同居しているなんて、もうなんてことなかった。

その週に2日の話し合いが、本当に地獄の苦しみに感じた。

【電子商店繁盛記 Episode=0 】あと10年

給料¥30387 という生活が始まった1996年。

少し時間を戻して引越し直前の95年のお正月。まだアパートに住んでいたが、引越しすることは決まっていて、義理の母、妹、堂園と4人で、アパートで今後のことを話していた時に、堂園が

「(会社の立て直しに)まあ、10年はかかるかな」

とつぶやくと、義理の妹は

「そんなに長く、、、、、」

と泣いた。ちなみに義理の妹はその当時まだ企業のOL。

妹も親と同居していたので、その住んでいる家に兄夫婦が家具を一式持ち込んで同居するというのだから、会社に関係ないと言っても不安の大きさは計り知れなかったのだと思う。

そのあと神社に4人でお参りした。しかしお参りしながら、当事者である私はあと10年が長いのか?短いのか?それすらもわからず現実感ないなあ、と思いながら歩いていた。もしかしたら10年なんてそんなものではなく、続くってことがもう無理なのかも知れないし、本当の窮地に追い込まれた時に人はたぶん現実を直視できないんじゃないかと思う。

私もそんな1人だったと思う。何か現実感を伴わないというか、それとやはりしょせんは家族と言っても私は外様だ。いつでも逃げれるというずるい考えもあったということは否めない。

事実、私は何度も逃げようと思ったのだから。

正月が明ければ、引越しが待っている。それは私たちの戦いの始まりも意味する。

でもその直前のエアポケットのような、穏やかな正月だった。

 

*気長に次回をお待ちください、、、、m(_ _)m

韓国旅客船沈没

まずは犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
両国の政治的軋轢がなければもう少し若い命を救えたのではないかと思います。
海難事故の救出では世界トップレベルの日本の海自の方々も無念だったでしょう。
命に国境はないと思います。
本当に残念でした。