広島戦で負けて、中日で勝って、そして今回西武戦。
2点先制され、その回の裏で逆転、7回で同点に追いつかれて、延長戦となり10回裏でサヨナラ!久しぶりに痺れる展開でした。
松本の守備もミラクル連発で、それを近くで見れただけでも感動ものでした。
終わったあとは、各方面の友人たちと合流し、総勢7名で合同祝勝会&残念会。
終電に乗り遅れる~~~と走ったりして、なんか久しぶりに楽しかった!
改めてまろんが9歳ということを実感する。
というのは、久しぶりに訪問したまろんの小さい頃に知り合ったコギちゃんのブログでその子が亡くなったことを知る。
一時期、そのブログは名前を変えたり、引越ししたりと、ペット中心のブログでなくなったのをきっかけに、もう数年見てなかったんじゃないかと思う。
でも何か知らせか?たまたま訪れたところ今年の4月に亡くなったということだった。
歳はまろんとほぼ同じの9歳。
犬は顔が歳をとると人間と同じに、白髪まじりになって白っぽい印象になるが、まろんはあまり白くならないのと、コーギにしては、鼻(マズル)が短く童顔なため時々9歳という年齢を忘れてしまうほどだが、あ~やっぱりまろんは9歳だったなあ、と同じ年頃のわんこが亡くなると痛感してしまう。
犬にとって10歳を超えるのは、結構大変なことなのだと思う。
そのブログで、印象的な一言が書いてあった。
「玄関マットで待ち伏せしてたストーカー犬。
今でも「居るつもり」で見てしまう」
心よりご冥福をお祈りいたします。
キャンペーン価格もあるが、この時期は月1くらいで洗ってもらわないと、ダニが心配なのだ。
まあ、翌日は公園に行ってゴロゴロするので、イタチごっことも言えるが、やはり自分で洗うのとでは、毛の奥までの汚れ落ち具合はかなり違う。
動物は元来、体から出る油を毛に付着させることにより、体を守っているということもあるので、人間と違い、べとべとしたから丸洗いするべ~~~。とはちょっと違う。あまり頻繁に洗うのも体に良くないということだ。
それと、お尻の毛。
コーギーはほぼ、カットは長い毛の子以外はあまり必要ないが、それでもお尻の毛が伸びてしまう。そうなると、排泄の時に不潔になってしまうので
てな、具合にカット。
これがいわゆる桃尻カット。
この尻が、見てて飽きないんだなあ~(笑)
体重が14~5キロあるので、もっぱら「ふとももちゃん」と言われている。
この写真だとわかりにくいのだが、まろんに顔が似ていて、コーギーを飼ってない人には判別が難しいらしいが、まだまろんが若干スリムなためウエストを見て是非判断してほしい、などと飼い主はひそかに思っている。が、しかし、それも時間の問題かもしれない(笑)
なぜなら、ふとももちゃんは、今鋭意ダイエット中ですでに1.3キロのスリムダウンに成功したというではないか。まろんもおちおちしてられね~ぜ!と思うものの、まろんの最近の食欲は目をみはるものがあります。まろんも9歳ですが、食欲はむしろ今がマックス状態。
まろん用のベッドもワンサイズ大きくしました(笑)
しかし話は戻ってふとももちゃんですが、彼女は心ない飼い主にお散歩も連れていかれず、室内に閉じこもりきり、ごはんは好きなだけ食べ放題になっていたため、標準体重をはるかに超えてしまったという、ちょっと可哀相なコーギーちゃんだったのです。
ただ、幸いお散歩も行っていなかった割には、足腰もしっかりしているし、公園でもちょこまか動いているのと、最近では毎夕お散歩に連れてきてもらっているので、どんどん健康になっていくに違いありません。いい飼い主さんに保護されて本当に良かったと思います。
世の中には、簡単に犬猫を捨てる悪魔もいますが、こうやってやさしい天使もたくさんいるのですね。
現在、過去の実例集をブログ化したいとのことで、せっせと移行しています。
2002年の実例集を現在移行しているのですが、いや~懐かしい。当時売れていた商品を思い出して、あんな相談乗ったよなあ~とか、そうそうこんな現場ありました!と当時のことが思い出されます。
当時人気あった商品とか、今では当たり前のようになってしまったシーリングファン(羽付きの照明器具)も、下側に照明をあえてつけないというお客様の選択に、そんな使い方があったのか~と驚いたものです。
今では照明器具を取り付けないという人も多いですが、ファンだけ取り付けるというのは、目からウロコでした。
お伺いした現場なども、懐かしく思い出します。
写真のクオリティも悪く、今のカメラの性能がいかに優れているかというのも実感します。どれだけ技術が進化したのかがよくわかりますね。
これからの実例集もどんどん増やし、将来また懐かしく思い出すことがあると思うと楽しみでもありますね。
20周年記念(いつのまにか、そんなタイトルもつき)のてるくにでんき備忘録、電子商店繁盛記エピソードゼロもなんだかんだで、現在13章になっています。
出来るだけ、淡々と過去の記録を書き留めたい、そこであえての備忘録という言葉を使っています。読んでいる方の中には、ハラハラします。と言われることもありますが、そんなもんですかね(笑)当時確かにジェットコースターのような毎日、いや、それは今も変わらないかも知れません。
さらに話は、ドッロドッロになっていきますのでね、一応備忘録ではありますが、2000年までの話と決めていることと、その間での最高潮のエピソードを中間ほどに用意してありますので、ハラハラドキドキ引き続き読んでいただければ幸いです。
ホームページを作ったり、アルバイトをしたりと、同居してから私たちの生活にも徐々に変化がおきてきた。
ホームページはもっぱら、堂園の仕事で、昼間は卸の仕事をして、夜はパソコンに向かう日々だった。
私がアルバイトのない日の、私たちのもっぱら息抜きといえば、歩いて1分ほどの酒屋に行って、ビール1本買って、酒屋の目の前の公園のベンチで飲むこと。
町まで行って、レンタルビデオ屋に行くこと。
そんなもんだったと思う。
ホームページ作りは、朝まで続くこともあったようで、夜遅くに帰ってきた義理の父と堂園がぶつかることが多々あった。
義理の父は、なぜか?酒を飲んでくることが多く、聞くとお得意様と飲んでいた。ということだったが、ずっと後になってわかったことだったが、やはり家に居場所がないと感じ、お得意様でも特に個人的に親しくさせていただいている人のところへ行っては、愚痴をこぼしたり、悩みを聞いてもらっていたようだった。
私たちは幸い、2人で悩みも、苦しみも、公園のベンチで話すことである程度解消できたが、義理の父は孤立無援。もちろん義理の母が別れず、支えてきてくれたこそ義理の父もやってこれたのだと思うが、義理の母には理解してもらえないこともあったのだと思う。特にワンマンでやってきただけに、理解してもらおうと思ってもその術を知らなかったと思う。
酒の入った義理の父と、寝ずにパソコンに向かう堂園が、夜遅いという時間も加わって、それこそ大喧嘩することも多々あって、そのたびに二階に居た私はびっくりして、飛んで下に駆け下りた。
血の気が引く
という言葉があると思うが、これは本当で、喧嘩が始まった!とわかると、手の先とか、足の先がものすごく冷たくなった。
これが本当にイヤで、今日はもうほっておこうと思っても、どんどん手先が冷たくなるので、怖くなってやはり下に駆け下りてしまった。
義理の妹も、そのたんびに驚いて、私より先に駆け下りた。
それだけ、大変な大騒ぎだったということだ。
どうして、そんな喧嘩になった?と聞くと
そんな訳もわからない、インターネットなんてやってどうするんだ?
というようなことを言われたということだった。
今では、会社のメイン事業になってしまったが、当時はそんな風にまったく回りには理解されなかったのだ。
色んな意味で苦しい時代が続いた。
昨日はパナソニックの新製品内覧会に東京ビッグサイトまで行ってきた。いつもは新製品を見るだけで、期間中に開催されるセミナーには参加したことがなかったのだが、たまには出てみようと思い、何種類か開催されているセミナーの中から「食卓とあかり」のテーマのセミナーに参加することにしてみた。講師は、若林三弥子さん。勉強不足で知らなかったのだが、料理研究家の中では、ちょっとした有名な方らしい。
経歴もすごいし、この世界にデビューしたのが47歳。本も売れてるし、開催されている教室は常に満員、プロデュースされてる食器や調理器具などもバンバン売れてそうだ。幾多の飲食店もプロデュースされているらしく大盛況とのこと。トークも堂々としていながら、やわらかい女性の部分もけして忘れておらず、話し方、ファッション、体形から細部にわたってケアされているなあというのが同じ同性なのでよくわかる。娘さんはBSのアナウンサーで超美人というから、こういう女性をまさに完璧というのではないだろうか?
とセミナー内容そっちのけで、そんなことを考えていた。アメリカのマーサ・スチュアートをちょっと思い出した。日本にもカリスマ主婦がいるのですね~。
思いがけず、素敵な講師のセミナーに参加できてよかったです!
ホームページを立ち上げよう!
という私たちなりの、新しいビジネス。
これはその後、私たちを助けてくれることになるのだが、その当時はそんなこと夢にも思っていなかった。
堂園はそれから、昼間は卸の仕事、夜はホームページ作りに没頭した。
私は、手伝うことも出来ないし、やることもないので、また月3万のお金ではやはり心細かったので、夜はバイトをすることにした。そう、お水の世界に飛び込んだのです。というのはウソです。
液体は液体でも血液の世界に飛び込んだ。
夜の6時~9時の3時間、都内各地の病院で採血され集められた血液を、私がバイトに行ったその民間の会社で検査するのだが、その検査の前段階の準備のバイトを週3回だったと思うのですが、はじめることにした。
夜なので時給も高いし、3時間という時間も短い。作業は白衣を着て行うが、白衣を着て仕事をするっていうのも、なかなか面白かった。
検査する前の準備というのは、血液を遠心分離機にかけたり、ベルトコンベアーに試験管に入った血液を、どんどん流していく(結局流して、何をしていたのかは忘れてしまった)作業とか、常時10名くらいが、各作業を担当していくという仕事。
たまたま見つけた仕事だったが、私が今まで見たことのない世界だった。
そっか~血液検査します、って言われて例えば近くの病院で採血した血液がもしかしたらここに来ていたのかもしれないなあ~とか、アイスボックスに血液を入れて、その会社に戻ってくる営業?の人たち。あ~こういうアイスボックスぶら下げている人、病院で見かけたことあるよ、とか思いながら、まったく違う世界にいるのも逆に気が楽だった。
でも結婚して、まさかこんなアルバイトをするとはと、人生って何がおこるかわからないとつくづく思った。しかも、働いているのは20歳前後の子ばかり。大学が終わってから来る子だったり、司法試験を目指して頑張っている子だったり。私は当時28歳。思いっきり最年長で、むしろ職員さんに近い側。
ただ、なぜか親しくしてくれた21歳と19歳の女子大生と女子短大生がいて、ねーさん、ねーさんと仲良くしてくれて、ごはんを食べに行ったり、彼女たちのアパート(二人とも一人暮らし)に遊びに行って、夜中までおしゃべりしたり。つらい時代でしたが、彼女たちのおかげで、本当に救われた。
彼女たちとは、1年半の付き合いだったにも関わらず、20年近くだった今でも2年に1度くらい会って食事をしたりしている。不思議な縁だ。
アルバイトをやめる時は、職員の方も非常に残念がってくれた。
何の仕事でも、真摯に一生懸命に取り組めば、必ず結果が出る。たとえ、それはバイトでも。
生活費の足しというより、遊ぶお金欲しさにはじめたバイトだったが、今になってみると本当に貴重、というか縁と同じで不思議な1年半だった。