追悼

昨年9月28日に実父を失ったというのに、先日2月7日に義父、堂園秀雄が亡くなりました。享年75歳。今の時代、75歳は若い。本当に残念です。私は両方の父親を失ってしまいました。

結婚してちょうど昨年の10月で20年でしたが、義父とは本当に色々とありました。義父は鹿児島の出身ですが、鹿児島と東京の文化の違いもありましたし、とにかくパワーの強い人でしたので、半ば強引なところもあって理解に苦しむ時期も多かったのも事実です。

私たちも若かったし、義父もまだまだ現役バリバリでしたので仕事上で衝突することもしばしばでした。

ですので、けして私はいい嫁とは言えません。自分でそれはよくわかっています。ただ、私はある時にこう思ったのです。けしていい嫁にはなれないけれど、会社をつぶしたくなくて、今までしゃかりきに頑張ってきた義父に唯一、返せることがあるとすれば、社長になった息子である私の夫をサポートして、仕事を続ける、強いては会社を続けることなのだと。私にはそれしか出来ない。でもそれでいいじゃないかと。

以前に、お前と結婚したから秀隆は不幸になった。と喧嘩した時に言われたことがありました。けして本心から言ったとは思っていません。売り言葉に買い言葉でしょう。

でも亡くなる1週間前くらいでしょうか。

秀隆の嫁は日本一。あさこは私の第二のおかーさん。

と言ってくれました。

もちろん、この20年間仕事一筋に支えてきたけれど、それでよかったんだろうか?と思うこともあります。3年前に私たちと和解して、福島に旅行に行ったり、箱根に行ったり、わずかですが親孝行も出来ました。

でも、たぶん長い時間をかけて、仕事をする私の姿を見ていて少しずつ義父には伝わったのだと思っています。もちろん私も義父のためだけに頑張った訳ではないけれど、自分の創業した会社のために毎日仕事をしている私の姿を、見ていないようでいていつも気にかけていたのかも知れません。体を心配してくれていたのかもしれません。不器用ですが、心根は本当に優しい人でした。

御通夜の当日も、ギリギリまで仕事しました。なんとか片をつけて、ようやく会社を出ようとした時には、もう会社には誰も居ませんでした。

何やってんだろうなあ。私。と思いました。でもなぜか、嬉しくて涙が出ました。

頑張ったよ、お父さん。

可愛くなくてごめん。でもこれからも頑張るからね。

今まで本当にありがとう。

2013年2月15日

亜佐子