【電子商店繁盛記 Episode=0 】順調に売れ出した

そんな訳で、現在の会長が社長に就任し、義理の父は営業部長に降格となり、毎日顔をあわすこととなった。

私たちといえば、右肩上がりに売り上げが伸び始め、建築業界の繁盛期である年度末の3月には、工事の依頼がどんどん舞い込んだ。

そのたびに嬉しくて、

「また注文が来たよ~」と電話したものだった。

日中卸の仕事もしていた堂園だったので、インターネットの注文を処理しきれなくなり、ついに私は夜のアルバイトを辞めて、ネットの仕事に注力を注ぐことにした。

アルバイトは約2年近くに渡ったのだろうか。履歴書に28歳と記入して、アルバイトの仲間に30歳の誕生日だと言って、ミニチュアのバラの造花を30本もらったのだから、2年弱で間違いない。

「堂園さん。やめちゃうんだ。残念だなあ~」

アルバイト先の職員の人に言われて少し嬉しかった。アルバイトをはじめたころは、にっちもさっちもいかず、新しいバイト先で不安だったが、晴れ晴れとした気持ちで辞めることがうれしかった。

しかし、1台のパソコンで作業しているので、注文が多くなりはじめると、作業的に限界になってきた。

当時はまだまだPCも高く、スペックなどをこだわれば1台30万近くはあたりまえだ。

経費削減の鬼、社長(現会長)にどう切り出すべきか、、、、。

しかし社長はいとも簡単に了承した。

社長のすごいところは、こういうところだと思う。

無駄だと思ったことは一切許さないが、必要と思えば細かいことには厭わない。

ちなみに、2台のパソコンを購入し、御役御免になって初代のパソコンのバリュースター号は伝説のパソコンとして、今でも保管されている。

しかし2台のパソコンに社長、義理の父、義理の母、とにかく事務所も手狭になった上、当時ネットショップというのは珍しく、取材が相次いだ。

TVの取材も2~3本来たし、とりわけ雑誌の取材がとにかく多くて、時にはお客様とかちあったりして、お客様の座っているソファーの上を、歩いて奥に行ってもらうこともあった。

お金のない貧乏会社だったが、とにかく人の出入りがすごくなった。会社というのは、人の出入りが多いほうがいい。良くも悪くも人の出入りにより、空気が循環し、時々そこにすごくいい気が入ってくるからだ。

そういう意味では当時、すごくいい気がたくさん入り始めていたと思う。

新しい出会いもとにかく増えた。

私たちにとっては、今後の人生をも左右する人たちにたくさん出会うことになった。