どうも気持ちの入らない都知事選ですね。特に鳥越さんに至っては、政策もよく見えないし、病み上がり!と言われたことに噛み付いてるばかりで、小ささばかりが目だってしまいます。
東京都知事で何やりたいのかな?
病気は癌ばかりではないですからね。癌サバイバーと連呼されても正直もっと他の病気で苦しんでいる人にはまったく伝わらない。
リーダーになる人って、もっと広く大きく、すべてを捉えるべきと思います。
人の言ったことの揚げ足取りばかりじゃね。
といって、別に小池・増田寄りということではありませんが。
てるくにでんきは5月決算ですので、税務署への提出期限は7/31。
通常は会長である石田にすべて決算書は任せており、私は清書するくらい。ただ、今年は石田はもうあまりやる気がないというと御幣があるのですが、そろそろ自分たちでやったらどうだ?という意識を感じておりました。
うちは税理士を頼んでませんので、すべて自社内で完結しています。今更決算だけのために税理士に頼むことも出来ないので、今年は自分たちでやるしかないと腹を括りました。
義理の妹には、PCの会計ソフトでに手書きの月次試算表と平行する形で入力してもらってきました。石田がPCまったく出来ないので、基本手書きがメインとなってしまうので、正直PCのソフトに入力している意味ってあるんだろうか?って妹は思っていたでしょう。
でも今年は、決算書についてもPCと平行することに決めました。実際の提出は今年はそれではしませんが、もし今年の決算書とPCが相違がなければ、今期(来年の申告)の決算書はPCでやるつもりです。ここまで2年かかっていますが、3年目にして正式なメインとなるでしょう。
パートで限られた時間の中で、私はすべてを求めることはしたくありません。フルで仕事しているのと、パートでは責任の重さも違うし、取り組む時間が違う。そこに100%の力を求めることは間違っている。でも、積み上げたものが結果となり、それが強いては会社のためになれば、目の色が変わります。そこから本当にスタートです。
きっともっといい会社になるな。
そう確信しています。
ぶどうの木の和子さんが、20周年の御祝いにお花を持ってきていただきました。わざわざ蔵前の花以想さんで買って、しかもご自分で運んでくださいました。
暑い中、本当にありがとうございます。
和子さんは、名古屋に在住されていて、小笠原引退試合の際にも一緒にランチをさせていただいたり、こうやって時々会社に寄っていただいたりと、いつも気にかけていただいています。
今回も私の母に、、、、と、お土産をいただきました。私の母にまで??って言ったら
お母様もお一人で暮らしてらして、ちょっとしたいつもと違うことが日常に起きることが、とっても嬉しく感じるときってあると思うから、是非差し上げて。
こんな気遣いのできる女性って本当に素敵です。
和子さんに出会えたことに本当に感謝します。
都知事選の7/31に東京に居ないため、不在者投票をしよう!と思い、土曜日に光ヶ丘公園にある練馬区の出張所に行ったら、そこは1週間前からしかやっておらず、練馬駅にある区役所に行ってくれと言われてしまいました。
オーマイガ!
わざわざ電車にのって練馬にある区役所には行く気力はございません、、、。
幸い1週間前の23日は、また来れそうなので1週間後まで待つことにしました。
でも、お役所ってやっぱりダメだなあ。ってつくづく思いますよね。光ヶ丘公園は公団やマンションなど高層の集合住宅がたくさんありますから、まさにこういうところこそ不在者投票は1週間前といわずに、練馬の区役所と同様にできるようにしておくべきですよね。1週間前にできるようにすることに何か意味があるんでしょうかね?
投票率の低さを嘆く前に、まだまだ打つ手はあるだろう???
と激しくツッコミを入れたいです、、、。どこにツッコミしていいのかわかりませんけど!
6/11の20周年記念の幹事会の慰労会を行いました。慰労会と解散式ですね。ほぼ1年半に渡る企画と準備。会が始まる当日まで、周到に準備したとは言え、本当に150人近い人たちのパーティを滞りなく進行できるのか?不安で一杯でしたが、幹事の皆さんのおかげで予想以上に素晴らしい会となりました。
その御礼と、お役目を終えた幹事会の解散式でもあります。さびしくもありますが、こうやって無事に解散できること、心から嬉しく思います。
次は30周年だね!と冗談まじりに言ってますが、私たちも含め周りのみんなも本気モードで今から楽しみにしてくれているようです。
ではどうするか?
実業を今までよりも一層頑張ることです。それ以上でもなくそれ以下でもなく。また同じ幹事たちでやりたいな。
また1つモチベーションがあがった気がします。
最近、心の病にかかってしまう50歳代前後の特に男性が多いように思うのだが気のせいだろうか?
50歳という年齢は、なんだか特別な節目のような気がしてならない。
少なくても、もう数名そんな惑うアラフィフを目の当たりにしている。心の病は厄介で、色んな人に色んな捉え方をされるので、本人も苦しむだろうし、いったい何にそこまで苦しんでそうなってしまったのか?は周りには本人が思っている以上には伝わらないものだ。
ただ、やっぱりポイントは「仕事」なのかな、と思う。
今までやってきた事の結果が、そろそろ出始めるのがまさに50歳前後なのかもしれないな。
けして人事ではないので、なんとか道を探して再起してほしいと願うばかりです。