今日は亡くなった実父の誕生日。生きていれば81歳の誕生日です。
4/1は義理の父の誕生日でしたし、いずれも4月生まれの父親たちです。
天国でお祝いしてもらったかしらね?
まあ、とにかく可愛いニャンズたち。猫との生活は本当に面白い。我が家はそこに犬も入るのでこれ以上の至福はないと思っている。もちろん人間と違い限られた命は短いが、こんなにも生活を豊かにしてくれるとは思いもしなかった。
さて、STAP細胞その後だが、ついに小保方さんの会見があったようだ。STAP細胞は存在するという意見は変わらないようだが、私はここで個人的に意見を言いたい。
この会見のあと、ネット上では「やっぱり」とか「私は信じていた」的な意見がちらほら見かける。これはどんなもんだろうか?と思うのだ。
あれだけ小保方さんが、バッシングされていた時に、そういう意見を出していたのかね?と問いたい。確かに信じていたのだと思うが、だったら最初から小保方さんの味方をしてあげたらどうかね?私は後だしジャンケンにしか見えない。
味方するのもいいし、批判するのもいいけど、そこは筋を通してもらいたいよね?
と思ったのでした。
昨日、久しぶりに今シリーズ初めての東京ドームに対広島戦に行って参りました。
巨人、広島と現在同率一位ということで、頂上対決となるわけですが、3回でまさかの内海の危険球退場処分となってしまい、それでも巨人はなんとか点差1点で耐えたのですが、8回に堂林のまさかのホームランを浴びてしまい、3点差となり試合終了。
今期2敗しかしていないのに、その負け試合を両方とも観てしまったという堂園。
昨年までは、ほとんどが勝ち試合でしたが、今年はその運気はどうやら見放されているようです(笑)
でも久しぶりの東京ドーム。生ビールも最高に旨かったし、デパ地下で仕入れたお弁当も美味しかった!
まあ、勝ち試合は次のお楽しみということで、、、、。
結婚してから4年。それまで別居していた私たちだったが、会社の危機的状況により彼の実家に同居することになった。
私たちの使用できる部屋は、4畳と使用しない家具を押し込む4.5畳の納戸の2つだけ。4畳の部屋は今まで使っていたソファーをおくと、賞味1畳くらいのスペースしかない。布団を敷くと、堂園の足は部屋から飛び出した(笑)
今まで使っていた家具は、悔しいのでどうしても全部持っていきたかった。
4.5畳の納戸に奇跡的にほとんどの家具を押し込んだ。まあ、まだ結婚して4年なので今と比べて持っていた家具も少なかったということもあるが、それでも2DKのマンションに置いてあった家具をすべて押し込んだのは我ながらよくやったと思う。
しかし残念ながら、冷蔵庫、洗濯機は使うこともしまうことも出来ないため、洗濯機は屋上にブールーシートに包んで置いた。冷蔵庫は実家で使っているのがもう古かったため、交換して使ってもらうことにした。
屋上に置いた洗濯機だけが、外に置くことになったのでそれだけが本当に悲しかった。
引越しは、実家は兼事務所なのでメーカーさんも来るため、同居するのに引越ししている所を見られたら、大変なことになってしまう。
この会社大丈夫なのか?という具合に。
事実大丈夫ではないのだが(笑)
なので、少しずつ近所にもわからないようにひっそりと、何日かにわけて引越しした。
夜逃げではないが、人に知られてはならない引越しをすることになるなど誰が夢にも思おうか。
家具をすべて搬入し、アパートの引渡しが翌日になった最後の日。
ぎりぎりまでそこに住みたくて、布団だけ残して家具も何もない部屋に寝た。
がら~~んとして、声が響く部屋。
この時、はじめて怖いなあって思った。
その部屋も怖いし、これからのことも怖かった。27歳といえば、家を持ったり、家族が増えたりと夢多き年代ではないか?私たちのしていることと言えば、ただただ後ろ向きに、逃げるように引越しをしている現実があるだけだ。
アパートを引き払う日。不動産屋さんに部屋を確認してもらい、鍵を返すのだが、あいにく堂園が仕事があり私1人が立ち会うことになった。
がらんとしたアパートに1人、不動産屋さんが来るのを待ったが、悲しくて、悲しくて涙がこぼれそうになったが、泣き顔で不動産屋さんに会ったら何事かと思うだろう。
残っていた新聞を読んで気を紛らわした。でもやっぱり涙が出そうになって、急いで上を見上げた。気に入っていたアパートだけに本当に悲しかった。
なんとか、不動産屋さんに鍵を渡し、自転車で実家に帰る途中、我慢していた涙が溢れ出た。
*気長に次回をお待ちください、、、、m(_ _)m
藁をつかむ思いで、その当時電機製造メーカーに勤めていた、現当社会長に相談をしに行ったところ、会長はもともと商売がうまくいっていないことは気がついていたらしい。
何度となく義理の父を呼んでは、状況を問いただしていたらしいのだが、足が遠のくばかりの義理の父を見てもともと勘のいい人だったので、うまくいっているとは思っていなかったらしいのだ。
しかし、実際状況を聞いてみると、会長の想像を遥かに超えていた。
私はその当時、まだ会長には何回かしかお会いしたことはなく、よく知らなかったのだが、会長に相談してから、何日かしたあとに会長が私に会いたいと言っていると聞いた。
私に?私に会って何を?
そう思いながらも、会長はそれからほどなく当時赤塚にあった私たちのアパートにやってきた。
前にも書いたが、会長は厳しい人だが、仕事に直接関係ない人にはいたって優しい口調だ。
「話は聞いてると思うけど、会社がにっちもさっちもいかない状態になってる。ここで2人で暮らすのは贅沢だよな」と笑った。
そう、もうこのアパートの家賃を払えないほど、会社は逼迫しているのだ、ということを直に伝えに来たのだ。
人はこれを聞くと、たぶん会長って人はなんて恐ろしい人なんだ、と思うかもしれない。
私もそう思う(笑)
でも今思うと、私は会長はもう1つの意図があったように思うのだ。
私の歳はその当時27歳。アパートを出るということは、実家で同居しろということだが、実家といっても本当に狭い一戸建てだ。そんな厳しい状況に耐えることが出来るとは、たぶん到底思わなかったのだと思う。でもそこをあえて、単刀直入に言うことによって、私が
出来ません。
という言葉が出ると思っていたのだと思う。
要は私の根性を試したのだ。私がもし出来ないといったら、会長はたぶんうちの会社を救う気はなかったと思う。会長自身もたぶん迷っていたのだ。
救うべきか、見捨てるべきか。
なぜ、そう思うかというと、何年かしたあと、会長が
「あの時に、やるって言うんだもんな~ほんと驚いたよ。あれで俺もやらざるを得なくなった。」
たぶんこの言葉は、当時から3年くらいたってからだと思う。ようやく笑って当時を言うことがで少しづつできるようになった頃だ。
それまでは、会長は私たちに本当にニコリとも笑ったことはなかった。
会長自身も私たちを救うことにより、立場が大変なことになって行った。
もう私たちだけの問題だけではなくなったのだ。
会長との壮絶な時代が始まった。
*気長に次回をお待ちください、、、、m(_ _)m
1995年。会社の大変な事実が発覚したその年、このままでは存続不可能ということは明確だったのだが、ここで私たちの運命を握る人物が登場する。
当社の前社長であり、現会長だ。
北海道から集団就職で東京に出てきて、都内にある電機製造メーカーの経理事務に従事。仕事ぶりは優秀で、当時そのメーカーさんの番頭さん的存在であり経理はすべて彼にまかされていたが、義理の父もその昔そこに勤めていたこともあり独立する際には会長にずいぶんとめんどうを見てもらったのだそうだ。
独立してからもしばらく、帳簿を見てもらっており仕事に集中できた義理の父はもともと営業センスは秀でていたので、順調に会社は成長していった。
しかし、会長は頭脳明晰で相当優秀な人物なのだが、それゆえにとても厳しい。言っていることは無駄がなく間違いがないが、元来おおらかな性格の義理の父とは反りがあわず次第に、経理について注意されることに嫌気が差し、会長から遠のく結果となった。
世の中が景気のよい時であれば、多少はどんぶり勘定でも会社は経営できるが、景気が悪い時にはそれなりの営業努力や数字を把握しておかないと、資金繰りは悪化する一方だ。
以前は会長に帳簿を見てもらっていたが、手を離れてからは自己流となり積み重なった赤字を補填することも出来ず、もう手のつけられない状態の帳簿を目の前にして、義理の母は決したように言った。
もう一度、会長に相談しよう。
藁をもつかむ思いだった。
*気長に次回をお待ちください、、、、m(_ _)m
増税前の喧騒がウソのように、4/1は静かなスタートでありました。
ですが、ボチボチと注文も入り始め、増税前と同じとはいきませんが、通常業務とほぼ変わりない状況なので、ほっと安堵しています。
私も8%はじめてのお買い物として、今日は義理父の誕生日だったため生前好きだったチーズケーキを買って8%の消費税を払いました。
昨日はスーパーで買いだめや、ガソリンスタンドで行列。とさかんにTVでやってましたが、格好つけるわけではないんですが、どうも買いだめする気にはなれませんでした。別に商品自体が格安といわけでもないし、置く場所もないし、何より行列したりするのもめんどくさい。
そのうち8%という消費税にも知らず、知らずに慣れてしまうのだと思います。
が!問題はまた10%に上がるということですよ。またこの増税前狂奏曲が奏でられるのでしょうか、、、。本当にうんざりですね。