秋田へGo!

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hide05 今年のゴールデンウィークは秋田へ行く事になりました。
犬の散歩仲間のマメパパのご実家が秋田にあり、今は別荘として利用しているのでご招待頂きました。
本来であれば嫁さんとまろんも一緒に行くはずだったのですが、本当に出発する直前になって嫁さんの具合が悪くなって涙の欠席。
まろんもお留守番となりました。

私も本当であれば断念するのですが、今回は車で行く事になっていてドライバーが2名は必要という事情もあり予定通り秋田へ向けて出発しました。

でもでも、行ってしまえばとことん楽しんでしまう性分(笑)
秋田では山菜尽くしのおもてなしを受けて、山の幸の恵みを存分に味わってきました。
山菜好きで天ぷら好きの私には堪らない料理の数々。

わらびかぜんまいくらいしか知らない私ですが、こごみ、たらの芽、いたどり、などなど今回の旅行でしっかり覚えました。
来年は絶対嫁さんとまろんを連れて行かないといけないなぁ(笑)

【電子商店繁盛記 Episode=0 】誕生日ケーキ

鬼のような会長でしたが、でも実際は誰よりも人に対する愛には溢れている。

そうでなきゃ、あんたらキチガイだーと怒鳴ったりする相手を助けたりしないだろう。

こいつら、とことん厳しくしなければ目を覚まさない。

そう思ったら、誰にどんな風に思われようが、自分の道を突き進むのが会長なのです。

今でこそ、談笑したりもしますが、ダメな時は容赦ないダメだしを食らいます。

忙しい最中、特に年度末にはミスドに呼び出されることが多かったのですが、ある時私も一緒に行ったことがありました。

その時は改札口まで行ったと思うのですが、3月の寒い夜でした。

改札口に現れた会長は、片手にケーキを持っていました。

「あさちゃん。誕生日だろ。今はひでくん(会長はそう呼びます)が買ってあげる状況じゃないからな。俺はね、特技があってね、人に聞いた誕生日は絶対忘れないんだよ」

そういって10号くらいの大きさだったでしょうか?いちごの乗ったケーキの入った箱を差しだしたのです。

そういえば、ちょっと前に私の誕生日だって話をしたかもしれない。

そして

「来年はひでくんに買ってもらいな」

と珍しく笑いました。

2人であまりの突然の出来事に、硬直して突っ立ったままの私たちでした。

「今、思えばね、良かった時のことってあんまり覚えてないんだよ。でもつらかった時にことは、よーく覚えてる。でもね、今思うとそれがかえっていい思い出なんだよ。乗り越えればいい思い出になるんだ。

会社っていうのは、水面の上に出るまでが大変なんだ。でも水面の上に出てしまえば、いい方向に回転していく。今は、まだまだ水面下だけど、若いんだ、やれるさ」

その時の改札口の風景、会長を鮮明に思い出すことが出来る。

うれしい反面、本当に乗り越えられるのかどうか、不安だった。会長の気持ちに答えることが出来るのか?

駅構内を忙しく歩く人たちを見て、何か違う世界にいるような気がした。

でもケーキは本当に嬉しかった。

【電子商店繁盛記 Episode=0 】常に走れ!

波乱含みな同居生活でしたが、会長に

「何か、自分らしい、自分しか出来ないビジネスはないのか!!」

と、顔を合わせるたびに叱咤(激励はない)される日々が続きました。

実際

ない。

次々とお得意様は倒産していくし、既存のビジネスでは到底広がりは期待できるものではありませんでした。

例の週何回かの、会長との会議も会長が忙しいため、駅まで呼び出されて、売り上げの状況を聞かれることもありました。

だいたい、そういう時は堂園が行くことになりました。

寒い、寒い、夜9時頃、川越街道沿いにあるミスタードーナッツで会長を待ちます。

会長はとにかく、いつも忙しい人なので、時には家に持ち帰り組み立てする予定の照明器具や安定器を左右に重そうにぶら下げながらも、小走りに横断歩道を渡って堂園のいるところにやってきます。

とにかく忙しい。そして、何より会長の信条として

「常に走れ」

ちんたら歩く分の1~2分でも時間が惜しいという訳なのです。

そのため会長は、自分の会社の中ではいつも移動は走っていたそうです。

小走りに走ってきた会長に

「どうなんだい?売り上げは?」

そう問い詰められた堂園でしたが、いつも答えることが出来なかった。

寒いし、情けないし、どうして自分はこんな家に生まれてしまったのだと、誰にもぶつけられない恨みにも似たような気持ち。

ドロドロと渦まいては、ただ、ただ会長が来るのを待つだけしか出来ない。

今でも時折、何かトラブルが起こって大変な状況になると

「でもあの時のミスドで待っている自分を思えば、こんなのどうってことないね」

そう、言います。

私はその場には行っていないし、本当につらかったと思う。

家も何もかもなくなって、妻は自分の実家に同居させなければならない、自分で稼いでいるという実感もない。会長にすがるしかない自分がそこにいるだけだ。

いや、私がつらかったなど、到底言える立場ではないのだろう。

本当に、でもそれを乗り越えてくれて、今は感謝しかない。

あなたが逃げたら、もう終わりだったのだから。